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TAJ指導員養成講習会inブランシュ

3月17日(月)、18日(火)TAJ指導員検定会が実施予定になっています。受検希望の方は、TAJ会員に登録して、事前に養成講習会を受講しなくてはなりません。その指導員養成講習会が1月23日(水)、24日(木)の2日間ブランシュたかやまスキー場で開催されました。受講者は全国各地から25名。TAJ担当者は、指導員委員会から吉田(白馬乗鞍所属)と私です。

Rimg0285640480 検定種目は、理論を入れて12種目です。プルークボーゲン、前方斜め前横滑り、ツーステップターン、ズレのあるベーシックなテレマークターン、ジャンプ、制限滑降(ポール)、切れの有る大回りターン、小回りターン、不整地総合滑降、指導法実技、指導法理論、論文です。今回の雪上講習では指導法実技、理論、論文を除いた9種目が勉強対象です。種目その物の技術難度はそれほど高くはないのですが、指導者として細かい動きのひとつひとつに安定した解りやすい確実な表現力が求められ同時にゲストに対するホスピタリティも求められます。

1月23日朝のブランシュたかやまスキー場は、マイナス12度。一時的に出た太陽もすぐに雪雲に隠され、細かい粉雪が舞って来ました。昨夜からの降雪も手伝ってこのスキー場としては珍しいふかふかの新雪バーンになり、ブリーフィングの後2班に分かれて雪上講習に移りました。私の班はまず緩斜面種目のプルークボーゲンから開始しました。スキー運動のエッセンスが詰まったこの技術の大切な要点である、上下動とニュートラルポジションを挟んで、左右の板への体重移動を繰り返し練習しました。山側の腰のブロッキングが甘くなりがちな人はハの字の形の意味を今一度考える必要が有りそうです。足を前後に開くテレマークと言えども必ず足が揃ったアルペンポジションを通過します。プルークボーゲンの練習はスキー運動を理解する上でとても大切に思います。

激しく降る雪の中、指導種目の練習を続け、11時45分にレストラン「バウム」で冷えた体に暖かい食事を摂りました。午後になると雪に加えて強風が吹き始め、上部ゲレンデではまともに顔を上げていられない状況になりました。風を避け林に挟まれた斜面に移動して、午前に引き続き各種目の練習を重ねました。受検を控えていることもあり、各講習生の目は真剣その物で、緊張感の有る講習になりました。そんな中でも実践的な種目である小回りや切れの有る大回りなどは、各人の能力の高さが伺え、楽しそうに滑る姿が印象的でした。15時半までみっちり続けた後、1班、2班共宿へチェックインをして16時半から理論講習に入りました。検定種目要領の説明や着眼点、指導員としての心構えなどを2時間みっちりと話をしました。

2日目の始まりは快晴の中、8時半からのポールセットからです。スキー場側の協力によりきれいに圧雪のかかったバーンを用意してもらい、13本ほどのポールをセットして各自練習に入りました。レース規定を厳密に採用したものでは有りませんが、ポールは必ずテレマークポジションで通過することと、テレマークポジションから次のテレマークポジションまでを途切れの無い動きでゲートを通過してもらうようにし、指導員としてレッスンをするに当たって安定した滑りが出来るように練習しました。午前中はポールトレーニングとジャンプの練習で終わり、午後からは昨日一通り説明をした各種目について仕上げの練習を色々な斜面を使って行いました。時間も迫った15時半頃最後の一本ということで、パノラマコースを滑り、講習の打ち上げとしました。

ブランシュたかやまスキー場は、内陸性気候の中、風と低温でハードパックされた斜面です。今回の講習は思いもよらず新雪の滑りやすい状況でした。検定では硬い斜面になることも考えられますので、沢山練習しておいたほうが良さそうです。2日間に渡り真剣に受講していただきありがとうございました。受検予定の方の健康とご健闘を祈ります。

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指導員研修会in白馬乗鞍

 1月16日(水)、17日(木)の2日間白馬乗鞍温泉スキー場に於いてTAJ指導員研修会が開催されました。全国で活躍するプロ、アマのテレマーク指導員の約三分の一に当たる総勢31名が集まりました。研修会はTAJ所属の指導員が2年に1回受講しなければなりません。二年ぶりに顔をあわせる指導員同士や昨シーズン合格したばかりの指導員がそこここでやあやあと挨拶を交わしています。初日は、「同時操作と谷回り」についてのテーマに沿って各指導員が3班に分かれて意見を交換し合う相互研修の形を取りました。「そもそも同時操作とは何か」とか「同時操作の谷回りは存在するのか」などと言葉の使い方で紛糾する場面も有りましたが、ベテラン組みのリードでいろいろな意見が出され、夕方のミーティングで検討事項を発表してもらいました。R9023168640480

2日目は、新雪が積もり二人一組になってお互いのリズムで滑るペアスキーを行い、次第に人数を増やしてフォーメーションスキーへと変化させました。ショートターンシンクロ、ショートターン逆シンクロ、ショートターンから中回りターンへの変化やクロスなどを練習しました。初めてフォーメーションを滑った指導員からは「おもしろい」という意見も出されましたが、ショートターンが多かったせいか、「うちの県ではショートターンは禁止だ!」などというクレームもどき?が出たりしました。それでも新雪の好条件の中午前中で充分満足出来た内容でした。研修会解散後もパウダーを求めて目一杯滑る指導員の姿が有りました。

R90231771280960初日夕方のミーティングで出された今後のTAJ組織や研修会への意見は、全ての意見が貴重で示唆に富んだ内容でした。これからもテレマークの普及に一役買う必要の有るわれわれ指導員の更なる意見交換、交流が必要に感じた研修会でした。運営側の不手際にも暖かくご協力いただいた指導員各位に厚く御礼申し上げます。

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ふくすけ

17年7ヶ月と言う月日は長い様でもあり短い様でも有った。生後40日で一才だった母の元を離れ、ふくろうに養子に来たふくすけ。「ふくすけ」と言う名前を言うとある年代の方はにやりとした。きっと足袋の「福助」のイメージが思い出されるからだろう。かつてはフォーマルな装いとして一世を風靡したものである。我が家にやって来た犬に「福助」と言う名前をつけたのは他界した義母であった。僕は福太郎と言う名前を考えていたのだけれど、母の考えた名前を聞いて二つ返事で賛成をした。それからふくすけはふくろうの看板犬として毎日を元気に過ごした。ふくすけは自分が認めた人間以外には体を触らせなかった。いつも一緒にいる僕でさえ意味無く触ると鼻に皺を寄せてけん制した。

ふくろうにやって来たその日には、車山からブランシュ鷹山スキー場の稜線を散歩した。大きな岩の上をおなかを擦りながら一生懸命について来た福助を今でも思い出す。それからの日々は毎回2時間以上の散歩をした。蓼科山への往復はふくの定番だったし、少し足を延して、赤岳から硫黄岳まで歩いたりした。北岳、谷川岳、八甲田、十勝、大雪と色々な山へ連れ回し、いつも一緒に行動した。胸の筋肉は隆々として跳躍力は群を抜いていた。座っている僕の頭の上を跳び越すなどは朝飯前だった。ある時北八ヶ岳の雨池で雪を投げるとジャンプして遊ぶ福助を撮ってくれた会員のY田さんの写真がコンテストに入賞し、ふくすけは美味しいおやつにありつけたのだった。

八甲田に行った時、僕が酔ってしつこく絡むのを激怒して、僕の左の親指を爪の根元から噛み切った事も有った。指は再生医療のおかげですくすくと育ち、指の先に痺れは有るものの今では完治したのである。痺れているくらいが熱い物を持つのに丁度良い事もある。酒は飲みすぎるなと諌めてくれたのだ。それからは一升酒はなるべく控えるようになった。

ふくろうに来てくれる会員の人たちの間では、とりあえず福助を散歩出来るかどうかが感心事になった。首にリードを着けるのもびくびくものであったからである。しかしふくすけは散歩に出かける時に噛み付くような事はしなかった。散歩から帰ってきて満足そうに尻尾を動かしている福助の頭をなでて「パックッ!」っとやられた人はだいぶいたような気がする。それでもいつも来る仲間には親愛の情を表していたし、顔をくちゃくちゃに触れる人も出て来て、「そんな風に触れて良いナー」などと話をして皆で盛り上がったりしていた。

仕事の電話もふくすけはよく聞いていた。「分りました、これからそちらに行きます」などと話をしているといつの間にか僕の足元を離れて玄関前で伏せをして尻尾を振っていた。これでは一緒に連れてゆかない訳には行かないのであった。

15歳を過ぎた辺りから運動量は少し減った気がしたが、こちらの体力に合わせてくれたのかもしれない。一日も欠かさず散歩にエネルギーを費やして来たので筋骨は相変わらず盛り上がって、毛艶はピカピカだった。16歳になって心臓への負担を考え、大きな山は行かないようにした。それでも毎回2時間近い散歩は欠かさなかった。若い時の貯金のおかげで歳を取った犬に有りがちな腰砕けは17歳を過ぎるまで無く、かつての動きと比べればヨタヨタでは有ったが元気に散歩を楽しんだ。

11月の初旬、東京の家に戻り僕が用事で出掛けた空きに、目や鼻の弱ったふくは台所のたたきに落ちてしまいお腹をコンクリートに押し付けたまま上にあがれなかった。しばらくは冷えたお腹の具合が悪い状態が続いたが、回復し、また元気になった。中旬には風邪を引いたのか42度の熱を出し3日間徹夜で看病をした。東京で駆け込んだ医者の薬が良く効いて、ヨタヨタながらまた歩けるようになったが、その頃から食事や水は仲間が送ってくれた注射器で口の横からほぼ2時間ごとに流し込む状態になった。12月に入るとスキー教室や仲間とのミーティングでスキー場に出る事が多くなる事を予想して九州の仲間が2週間福助の面倒を見に来てくれた。17キロ有った体重も12キロまで減っていった。

正月を迎え、福助は体の居所が無いかのように横になったまま動き回った。抱いていると安心して眠りに入るので、仕事はほとんど手が着かない状態になった。1月2日の深夜11時頃ふくすけに添い寝をし、頭や体を撫でていた。日が変わった3日、0時半頃呼吸が弱くなり40分には呼吸が止まってしまった。家族や仲間に看取られ、0時45分に脈が落ち旅立ってしまった。Fuku11jpeg

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17年7ヶ月と言う月日は長い様でもあり短い様でも有った。ふくすけと一緒の日々は本当に幸せだった。僕は君のおかげで人への優しさとは何かを学んだのだ。もう散々泣いたのに、この文を打っていても涙が溢れてしょうがない。今はただ感謝の気持ちで一杯である。思えば今年の冬は仕事をキャンセルしてふくすけと向き合うつもりだった。でもふくすけは自分の事は良いからこの冬も頑張れよと言わんばかりに先に逝ってしまった。ふくすけの愛したふくろうのためにもこの冬もいやもう少し頑張ってみようか。合掌   

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